東北の震災から3年です
多くの方があの日に思いを馳せる一日となるでしょう
わたしも出身が岩手県の宮古市ですから、失った風景、失った親戚、失った思い出の場所など、たくさんの想いが胸をよぎります
あの日、私は仕事で東京丸の内にいました
ビルの10階にいたのですが、大きな揺れでたっていられず床に座り込んでしまいましたが、体が左右に滑り本当に恐ろしい想いでした
当時娘は小学6年生で、夕方までひとりでお留守番をさせる予定でいました
時間をみると、下校したかどうかという微妙な時間
学校にいれば保護者が迎えに行くまでは学校で安全が確保されるだろうと思いましたが、もしかしたら家でひとり不安な時間を過ごしているのかと思うと、もういてもたってもいられなくなりました
エレベーターが止まっていましたので、10階から階段で下まで降りました
電車はすでに止まっていました
マップでみると自宅までの距離42キロ
マラソンで走る距離なんだから、歩けないわけがないだろうと、歩き出しました
普段電車を使っていますから、道もわからないのですが、とりあぜず電車の線路沿いにいけばなんとかなるだろうと・・・
家に何度も電話をかけてみましたが、つながりません
娘にキッズ携帯を持たせていたましたが、つながりません
不安は大きくなるばかり(その時は、まだ津波のことは知りませんでした)
とりあえず早足で歩くばかり
そんなとき、娘からの携帯がなりました
「ママ~、今ね、○○君のおうちにね、ちーちゃん(うちの犬)と一緒にいるからね~」
そしてそこのおうちのママも出てくれて「大丈夫よ~、心配しないで!」
この電話にどれだけ救われたことか
その○○君というのは、小さいときから仲良しの近所のお友達
娘もさすがに一人じゃ不安だったんでしょう、その子はお母さんがおうちにいる方なので、頼っていったのでしょうね
私はうちの子が素直によその大人を頼れる子でよかったとそのとき思いました
私は子供が小さいころはできるだけ子供のスケジュールに合わせて仕事を調整していたのですが、それでも働きながらの子育ては限界がありいろんな方に手を借りてきました
自分の両親もそうですが、ご近所の方にも
私ひとりが子供に伝えられることって私が知っている範囲しかありませんが、いろんな方に面倒をみていただけると、その方たちからもたくさんのことを教えてもらえますものね
そうも考えて、できるだけたくさんの方にあずけたり、またうちにも遊びにきてもらったり
保育園とかいろんなサービスもありますが、意外に面倒なのが「予約」しなくちゃいけないなどのあらかじめの準備
でもご近所のおばさん、ママ友であれば、今この瞬間の手助けがおねがいできる
やっぱりワーキングマザーにとって大事にすべきはご近所かなと・・・
結局私は帰宅難民となり、錦糸町の駅前のビルの床で座り込んで迎えが来てくれるのを待ちました
娘は夫が迎えに行くまで、○○君とその弟君とwiiで遊び、美味しいカレーをご馳走になり、安全に楽しく過ごしていました
子供を守るのは母親の役目
確かにそうですが、母親が守りきれるものでもありません
子供が学校にあがりだんだん母親の手が届かなくなるとき、子供をどう守るか・・・
頼れる大人をいかに味方につけるかが大切なのかな~と思います
もちろん、私たち大人は、自分の子に限らずみんなで子供を守るという姿勢も必要ですね
いざというときに、支え合う、弱い人に手を差し伸べる
あらためて、人と人との絆、社会のあり方を考える一日ですね